感情的な人にも良い点があります。
それは、「感情」が出てくるたびに、自分を見つめるチャンスとして捉えられること。
否定的な感情も、こんなこと感じることさえマズイだろうという、人様には言えない感情でもどんとこい。
感情は、より良い自分になるためのきっかけとなるのです。
ムムッ。
感情と同化しないことが大切。
感情とべったり愛し合いひとつになってはいけません。
一歩引いて冷静に観察してみます。
この時、他人事のように淡々と観察し、批判したり自己嫌悪に陥らないことが大切です。
感情が豊かすぎると、映画やテレビなどスクリーン越しでも感情移入が容易で、ケガをするシーンで自分も痛い感じがしたりするものなので、注意が必要です。
そこで・・・
神様の視点から眺めるつもりで、「私」という言葉は抜いてみましょう。
「それ」という簡素な単語を当てはめると簡単です。
それは、悲しんでいるなぁ。
それは、怒っているなぁ。
それは、喜んでいるなぁ。
それは、後悔しているなぁ。
おお、実に淡々としています。
なんだか古文みたいですね。いとをかし(興味深い)。
自分を未来へふっとばす。
感情に飲まれそうになった時。
時間をぐ~っと先へ飛ばして、そこから過去の自分を見るように自分の感情を見つめてみるのはどうでしょう。
平安時代の自分が笑ったり泣いたり後悔したりしている。
そのさまはただただ興味深いだけで、今の自分ではない。という感覚ですね。
極端にいえば、1分前も昨日も平安時代も旧石器時代も、過去は過去。今ではないので一緒です。
「そんな~時代も~あぁ~ったねと~♪いつか~話せる~日が~くるわ~」
本当にそのとおりです。
分かっていても、油断は禁物
前の記事と同じような内容となってしまいましたが。
こんな風に書いてる私自身も、しょっちゅう強い感情に絡めとられてしまいます。
それでも「ハッ!また!」と気がつくまでの時間は少しずつ短くなってきてはいますが。
でも、この世の中は、感情があるから、悟りきれないから面白いんだと思います。
よく、超おもしろいドラマとかゲームとかを堪能した後に、
「記憶を消してもう一度、体験したい!!」
と思うことがありますよね。
人生ってもしかしたらそういう事なのかもしれません。
もしそうなのだとしたら、主人公が何の苦労もしないのでは「ちーっとも」面白くないですよね。
苦労も否定的感情も面白がるくらいの心の余裕がほしいもんです。